週明け深夜、島田紳助氏
(以下、島田氏)の引退及びその経緯の報道を聞き、ショックな気持ちとやっぱりと言う気持ちでした。
島田氏は、1980年の漫才ブームからバブル期の報道番組や情報番組の司会、現在の番組・イベント・タレント等のプロデュース業等々、この30年間驚異的なスピードで走り続け、数々の成功を収めてきたと
思います。
私の10代後半から30代前半迄は、島田氏にかなり影響を受けたと言うか、手法を真似し、ビジネスでの交渉やコンサルティングの場で活用させて貰いました。
私からすると、島田氏の手法は、非常にレバレッジを利かせたものであり、本来の能力の何倍もの知識や人間を動かせる事が出来るものであると思います。
自分の持っている知識の一部を、その分野のエキスパートに伝え、多くの知識をご教授頂き、その教授頂いた知識をまた別のエキスパートや多くの方々に伝え、自分の知識とその方々との関係性を深めていくと言うものです。
これは、時間的にも有効であり、知識や情報としても、専門書籍や雑誌よりも鮮度が高く、より実理や実利を得られるとものと思います。
また、その知識や関係性を、異業種や他分野に転用し、より広く大きな知識や関係性を築いていくものであります。
ワイドショー等のメディアで、多く?一部?のコメンテーターは、島田氏のやり方を非難していましたが、全部が全部悪いものでは無いと思います。
阪神淡路大震災の後、復興の為に色々な仕掛けを考え、実行、成果も挙げていました。
よく記憶に残っているのが、オリックス・ブルーウェーブ、西宮スタジアムから神戸市北区のグリーンスタジアムに拠点を移し、イチローもまだブレーク前で、スタジアムは閑古鳥が鳴いていた時に、しあわせの黄色いハンカチとチームカラーのイエローを掛け、スタンドで黄色いタオルを振って、神戸を盛り上げましょうと言う企画をし、オリックス・ブルーウェーブも優勝し、みんなも元気になったと言う、成功事例も多々あります。
確かに、暴力団との関係はよくありませんが、芸能人・島田紳助氏や一般人・長谷川公彦氏を全否定するのはどうかとも思います。
それより、島田氏が色々な場面で登用していた、プロデューサーやタレント等、フリーで活動されていた方々の今後の処遇が心配です。
大阪・心斎橋の『寿司 はせ川』等、何度か楽しく・美味しく食事に行きましたが、今後は、別の分野での活躍を期待したいと思っています。
追伸 渡辺二郎氏は、私の憧れであり、最高・最強ののボクサーでした。私の目の前で、『昌美くんへ 渡辺二郎』
と書いて下さったサイン色紙も持っていましたので、非常に残念です。